さっき俺はエビドリアを食べたんだけれども。
エビドリア食べておいしいなぁって思いました。
そのおいしいなぁって思う前に
おいしいに変換される前に
こう、胸がいっぱいになって
すごく幸せな気持ちになったというか
体が喜んだというか
そういう『言葉にならない実感』があって。
本当に大事なのは
その『おいしい』に変換される前の
すごく満たされた気持ちだったりとか
『言葉にならない実感』なわけですよ。
で、それは、言葉にしちゃうと
幸福感と言う言葉になっちゃうんだけど、
体が喜んでる感じとか、
わーってなってる感じとか、笑
なんて表現したらいいのか
ちょっとすごく難しいんだけど。笑
内側から湧いてくるあの感じ。笑
その体感、実感の部分を大事にした方が
幸せ度が上がります。
言葉にすると、
そのおいしいって言った瞬間に
なんだろ、
『おいしい』に持ってかれちゃうんだよね。
『私』に持ってかれちゃう。
わかった気になってしまう。
もちろん、おいしいと思っていいんだけど
『おいしいになる前の体感の部分』こそが
僕たちが感じたいものであって、
頭でおいしいって思わなきゃいけないわけでもないんだと思うんだよね。
でも、『私』は
頭で『これは何だ』みたいなのを、
わかりたいって言う癖があって。
で、頭が良かったりとか
(頭がいいってちょっと語弊があるんだけど)
その〜、理屈っぽい人とか
(男性に多いんじゃないかな)
男の人はすぐ頭を使いたがる。
これは何だって決めたがる。
さっきの話で言えば、
食べた瞬間に『これはおいしい』と
(言うか頭の中でかは別として)
言葉に変えてしまう。
それで、『頭』に意識が持ってかれちゃうから、
『おいしい!』と言葉にした時に
体感と実感を感じる割合が減るのよ。
せっかく感じれた幸福感を
100%感じ切らずに、放棄しちゃうのよ。
もったいなくない!?笑
そういう意味では、
女性の方が感じたものを
感じたままにしておく力が高いかなぁと思ってて。
何が言いたいかって言うと。笑
楽しく生きるって事は、
その満たされた感じを味わいたいってことで
味わう時間を長くするってことだから、
言葉になる前の、体感とか、実感を
よーく味わいましょ!って話!
私、こんなにおいしいものを食べたの!
って、言葉にした『記録・記憶』よりも
『実感』を集めていこう!
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