何かを得るために、何かが犠牲になるということはあり得ない。
『犠牲』という言葉がチラついたら。
それはもう何か間違ってると思っていい。
整ってる世界線に、『何かを犠牲にする』という気持ち悪い概念は存在しない。
被害者感全開。
私頑張ってます感全開。
悲劇の主人公感全開。
気持ち悪い。
何かをすることで、別の何かができないことは、そりゃ時にはある。物理的に。時間的に。
でも、整ってる世界線では、それを犠牲とは感じないし呼ばない。
本当に両方大事なら、なんなら両方獲りに行く。
少なくともそういう姿勢は崩さない。
100歩譲って、犠牲について悩むことがあるときはこう考えて欲しい。
Aを犠牲にして、Bをする。だったら。
『Bは、やらなくていい』ってこと。
『むしろ、Aをやれ。』
これが正解。
でも出来ないんだろ?笑
本当に大事にしたいのはAだ。
あなたにとって、大事なのはAだ。
でも、Aを我慢する方が『怖くない』んだよな。
Bを優先する方が『責められなくて済む』んだよな。
Bを手に入れないと『いけない気がする』んだよな。
Bを手に入れた方が『安心な気がする』んだよな。
わかる。
でも、それが全部幻なんだよ。
Bは、要らない。
もしくは
Bを手に入れるのに、
Aを犠牲にしなくても、いい。
そう、別の方法がある。
で
その別の方法は、本当は知ってる。
あなたは、その方法をもう既に知ってる。
でも、それだけは絶対に嫌だから。笑
それだけは怖くて絶対に嫌だから。笑
気づかないフリして
Aを犠牲にすることで逃げてる。
別に責めてない。笑
それをしたければそれでいい。
そうじゃない方法もあるよってだけ。
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