自分と向き合おう。
自分を大事にしよう。
とは言うけれど
私と向き合おう。
私を大事にしよう。
とは言わなくない?
私は嬉しい。
私は不安だ。
とは言うけれど
自分は嬉しい。
自分は不安だ。
とは言わなくない?
(ごめん、関西の人は言うかも。笑)
これ、何が違うんだろう。
でも、何かが違うよね。
それ
「自分」が指すのは心で
「私」が指すのは頭ってことだよ。
別モノ。
だから
自分がやりたいこと
と
私がやりたいこと
が
違うのも全然ありえる話。
葛藤とかって
この
自分と私の戦いでもある。
自分ていうのは
何も定義づけされてない
自分という存在のこと。
私っていうのは
例えば
名前とか
男とか女とか
父親とか母親とか
上司と部下とか
関係性の中で生まれる役割で
定義づけされた存在のこと。
あなたがしたいことは
「自分」のしたいことだろうか?
「私」のしたいことだろうか?
別にどっちでもいいんだけど
「自分」と「私」では
持ってる力が違うから
というか
役割が違うから
それを知っておくといいよ。
現実の流れは
「自分」がつくってる。
「私」はつくれない。
極論、
「自分」の願いは叶う。
「私」の願いは叶わない。
「私」の願いが叶ったと思うのは
たまたま「自分」の願いとかぶったから。笑
もう一度聞こう。
あなたがしたいことは
何者にも定義づけされてない「自分」
のしたいことだろうか?
男、女、父、母、上司、部下、社長、平社員、
なんでもいいんだけど
その役割としての「私」
のしたいことだろうか?
例えば何か選択を迫られる同じ場面でも
何者でもない「自分」のしたいことと。
「母親としての私」のしたいことは
きっと変わってくる。
世の中の99%の人は
「私」のしたいことを優先する。
究極的には
「私」のしたいことは「私を守ること」だ。
「自分」のしたいことは「体験」だ。
こうした方がいい。
こうすべき。
はすべて「私」のしたいことだよ。
「自分」のしたいことは
こうしたい。
こうしよう。
のみ。
損得は「私」
好き嫌いは「自分」
と言ってもいい。
さ、
あなたのしたいことは何ですか?
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